The Love That Moves

ヴィジュアルに込めた意味

“The Love That Moves”のヴィジュアルのアイディアは、いつもと同じように、いくつか違うフェーズを抜けて完成したんだ。その全てを考えると、そこに繋がりはあまりないように見えるかもしれない。でも、何となく、今振り返ってみると、全体として完璧に理に適っていると思えるよ。というわけで、“The Love That Moves”の下にあるオーガニックでクリエイティブな欠片を説明させて。

これまで良く、新しいプロジェクトのインスピレーションを見つけるのが難しくなってきていると感じるか、と質問されることがあった。良い質問だよね。新たに”ソロ”の冒険に出る前は、12年ほど続いた前身バンドYour Favorite Enemiesとして、あらゆる側面を発展させ、再定義していたよ。質問の答えは、僕のアートや創作への認識方法の中にあるかもしれない。それはブランディングとか、商売とか、金銭的なものではなくて、ソウルフルで純粋に心からくるものだ。そうでなければ、たとえ美しくて良くできたものでも、売るために作られたものに過ぎないからね。作品を生かし続けるために、自分の夢をマネタイズしている人たちのことに口を出すつもりは全くないし、裕福になる野心を持っている人のことを軽蔑するつもりもない。そんなことはしないよ。僕にとって、それは一つ一つのプロジェクトが持つ“意味”の深い層を識別することについて。どれだけ多くのユニット数を”動かしたか”ではないんだ。それは僕の世界とは無縁だよ。いつも同じユニークな問いが響いているんだ:”自分が探し求めていなかったものでさえ見つけられるくらい十分深く掘り下げただろうか?” 見つけることは簡単なんだ。少なくとも僕にとってはね。それは僕が自己満足と呼ぶ広くて簡単な道だよ。けど発見となると話は違う。それは怖くて、自分で解き明かしていかないといけない道。そこではイライラする気持ちや、怒り、疑い、そして、全てを敵に回すかのような感覚が待っている。僕の友人たちやコラボレーターたちは、この掘り下げの時期を好んではいない。彼らは、僕が執念深くなり、感情の起伏が激しくなると言っていた。それは、僕の耐えられない、しゃくに触る態度を説明するのに使える最もソフトな言葉だろうな…!そして彼らは正しいんだ…僕は目に見えないものを追うとき、周りにいる人たちを定期的に狂わすことができるらしい。自分でも我慢の限界だよ…!

だから、“The Pain That Bonds”のヴィジュアル・アイデンティティが、早朝にマッカイと一緒に山を散歩しながら自然に出てきたのなら、“The Love That Moves”は全く違うプロセスだった。”Love”(愛)そのものについて考えることによって、その真髄を見直さないといけなかったくらいに。僕は幼少期にレイプされた経験がある。その時から、他人に触れられるのが大嫌いで、僕の心を動かすことのできる人との間で、はっきりと感情的な線を引いていた。僕を純粋に好いてくれる人が現れると、愛着を持ち過ぎないように自分から離れていったりしたんだ。たとえ義理堅い性格でもね。ある友人が最近、僕に回避的な不安、または親密さを回避するような行動をしていると言ったんだ。そうさ、そういうセラピストのような友人もいるのさ…!コメントとして驚くものではなかったけど、正直、”愛”とは何だろうかという問いかけをするきっかけとなった。子供の頃に撮った、父と僕の古い写真を思い出したよ。父はそこに映るただの人だった…そして、母について想った。いつも背中を押して、これまで絶え間なく支えてくれているー学校の校長先生や警官とのエピソード、恋愛関係、牧師さんに追い出されたりと、それだけで本が書けそうなくらい。母さんは僕が人生で出会った多くの人たちの中でも一番タフな人だ。そして、また友情とその意味について考えた。2匹の愛犬と持つ繋がり、他の人にとってはファンかもしれないけど、僕にとっては家族として思っている人たちへの深い愛情などについても。アートへのヴィジョン、失敗することへの恐れ、人をガッカリさせること、自分の不安のせいで期待外れだと思われることへの恐れについて考えた…音楽プロジェクトのヴィジュアルアイデンティティをデザインすることから、かけ離れているように思えるだろうけど…僕にとっては、そうじゃないんだ。
知ってる人もいるかもしれないけど、マッカイ&レナードと一緒にヴァージニアに移り住んでから、自宅を囲む環境への興味が膨らんだんだ。僕は子供の頃からずっと動物が大好きで、環境へのリスペクトはある程度していたけど、ここに住むことによって、今まで見過ごしていた自分を囲む不思議の驚くべきインスピレーションに目が開かれたんだ。山に生息する鳥に対しての情熱はその新しい興味や好奇心を表しているよ。僕が都会で育ったのは明らかだから、深紅色の鳥や、鹿や狐の家族などを見かけるたびに驚き喜ぶ僕が友人たちにとっては面白いみたい。動物たちがお互いに自然の中で共存している姿を見ると、なんとなく穏やかな気持ちになるんだ。そうやって何となく命について、自分自身について色々と学んでいる。そもそも、そんなに好きじゃない通常の音楽ビジネスよりも、もっと偉大だと感じるものの一部になるのは、心が落ち着くよ。平和、調和、均等。僕は、ライブを観たリポーターたちから、”神聖なサイケの牧師”とか”クレイジーノイズ宣教者”とかって呼ばれたけど、近しい人たちからは”山の僧侶”っていう呼び名ももらったよ!以前のパッション溢れるニックネームから、進化してるのさ…!禅の心を育てるのはこれくらいにしておくよ…僕に合っていると思うけどね。それに、ずっと闘ってきた心の侘しさから、精神を守ってくれている。それは個人的な考えや視点への確固たる源なんだ。
“The Love That Moves”のヴィジュアルアイデンティティへの最初の閃きは、そういう自己観察から生まれたんだ。そうして、僕のホームスタジオにある扉の開いた鳥籠を見た。部屋の天井近くにぶら下がっているもので、そこにあることすら気づかないくらい特に飾り付けもしていない、とてもシンプルなもの。けど、僕にとっては意味深いシンボルでもあるんだ。自由を味わえるように扉がずっと開いていたとしても、過去に自分がどれだけ人としても、創作の面でも自らを閉じ込めていたかを思い出すために…とてもシンプルで、子供っぽくすらあるけど、それが最初のきっかけとなり、やがて楽曲にある深い意味を明らかにしてくれたんだ。対象物としてシンプルではあるけど、メタファーや寓話の世界を生み出した。この普通だけど、深い象徴的なものが想起するものを通して、個人的な感覚を誰もが見つけられるように。束縛、奴隷、従属、降伏の状態から、独立、自由、信心、解放まで、もっと多くの解釈を言おうと思えば、まだまだたくさん出てくるだろう。改めて、全ては当たり前に見えるものの真髄を通して、不思議を発見すること。

長年の共同クリエーターであるStephanieに籠について話したんだ。(打ち明けたというべきかも)彼女は、僕が鳥について話し続けるのにうんざりしていない数少ない友人の1人だよ…思いやり溢れる彼女の心に幸あれ…!僕の熱意ある(そして終わらない)比喩的な印象を呼び起こす説明への彼女のリアクションは「ジャスミンの花みたいに。愛を表現し、夜にしか咲かない」というものだった。僕は「そう!その通り!まさにそれを言いたかったんだ!」的を得た説明をするのに、ただ1時間ほどかかっただけさ。僕に要約する才能がないのは確かだ。それでも、彼女の直感的な反応は、背景にあるアイディア全体と完全に一致していた。個人的な反応を引き起こす世界共通の対象物。それが世界共通であろうとも、その人にとって何かとても親密なものを映し出し、そういう気持ちを引き起こした対象物を再定義する。それを感じることができたら、その親密な対象物は、重要なものであるだけでなく、命を与えるものとなり、僕らが変わっていくにつれて、それも変わっていくことができる。それが、やがてわずかなレイヤーや色合いを与えることになる様々な色付けの始まりとなったんだ。

僕の中で色はそれぞれ目的を持っていて、いかなるプロジェクトにおいても重要な要素だ。それは子供時代に遡ると思う。僕の絵の意味を聞かれたとき、使う色の重要性を説明していたから。そうさ、子供の頃から変なんだ…だからこそ、デザインにおける最大のチャレンジはいつも色選びなんだ。もしも、Ben(The Long Shadowsのリードギタリストで曲作りのパートナー)が、音楽における僕の説明のつかないナンセンスを解釈する驚くべき能力に長けているのだとしたら、Stephanieは、それと同じくらい、僕の感情に基づいた色の描写を読み取る能力を持っている。彼女はそのプロセスを”秘伝の探求”と呼んでいるよ…!僕らは一つ一つの要素について話しながら、それが持つ意味や重要性に従って決めていくことにした:
サイドAの背景は”オレンジ”の色合い:
それは楽観性、自信、暖かさを伝える。
壊れた籠は”黒”でなきゃいけない:
それは謎、隠れた脆弱性、恐れ、損失を表す。
ジャスミンの花は”クリーム色”とオレンジのスパークが必要だ:
それは落ち着き、うららかさ、信頼性を映し出す。
木の枝は”森の緑”の色合いがいい:
それはバランス、希望、調和と安全を表しているから。
サイドBの背景はオレンジとクリーム色のミックスにして、穏やかに横たわる場所として歌詞を伝えたかった。

最後の要素は、もう少しで省かれるところだったんだけど、ハチドリのイラストなんだ。正確にはオナガラケットハチドリ。僕が関わる創作のほとんどがそうであるように、全ては君たちとのやりとりから生まれるんだよ、親愛なる友人のみんな。僕は、ある大切な友人のことを考えていたんだ。彼女は、長年連れ添ったパートナーと離婚する他、道がないところまできてしまったことを打ち明けてくれた。それについて心を開いた彼女の言葉には、素晴らしい人間性と、多大なる尊厳や共感が垣間見れた。今後のいかなる不安や疑い深いノスタルジアに引きずられまいと固く決意しながらね。それはとても感動的で、そういう脆い空間へと招いてくれたことに、とても慎ましさを感じたんだ。人がその心や魂を打ち明けるとき、僕は詳しいことや質問などしたりはしない。それは最大の気遣いを持って受け取るべき最も脆い宝物だ。ユニークなギフトのように受け取るべきだと思ってる。僕はその後、少し時間を置いて、友人のために祈り、今、経験しているであろう苦しみについて考える。そして、この時は、僕の中にユニークなハチドリが思い浮かんだんだ。ペルーでしか見つけられない絶滅危惧種のハチドリ。数年前に、この特別なハチドリのことを知ったときから、ずっと記憶にあったんだ。そして、あの日、僕の大切な友人が経験していた感情とリンクした…それが、鳥の絵に様々な色や状態が描かれている理由だよ。
枝の上にいる黒とクリーム色のハチドリ:
鳥籠を去った後の瞬間を描いている。まだ籠の黒いトーンを身に纏っているけど、クリーム色のスパークで突如として感じる落ち着きを表してるんだ。籠を出るためにたくさんのエネルギーを消耗したあと、次の動きを考えるために強さをチャージしているのさ。
遠くに飛んでいる小さくて暗い緑がかった青色のハチドリ:
これが移り変わり。信じる心がゆっくりと、長年鳥籠の中に住んで染みついてしまった黒い色を洗い流している。そして、この時はまだ小さい。だって、籠の中ではない環境でそう感じているから。それと、再び産まれようとしているからなんだ。飛び立つ準備をし、羽が新しい動きをするたびに成長していく。
明るい緑がかった青色で尻尾にクリーム色がつき前方へ飛んでいるハチドリ:
これが新たに見つけた自由の化身。制限なく飛びながら、本来の自分を受け入れている姿。尻尾のクリーム色は、舵の役割をしている静穏。まるでハチドリが笑っているかのようにさえ見える。完全に解放され、これからの旅路の中で、自分の様々な側面を発見していくにつれて、それと同じように発展し続けていくんだ。
レコードの裏面に載せることにした歌詞の部分は、心と魂が新しく咲いている状態を描いている。彼らはその新たに生まれたハチドリの孵化を映し出しているんだ。ユニークな存在、自分自身の延長という両方のサイドから。そして、森のような緑じゃないといけなかった。だって、それは重要な自己の変化を伝えているから。可能性を表現する色の上に書かれて欲しかったんだ…

もしも、複雑なプロセスのように聞こえたなら、全てが考え抜かれ、全ての側面が綿密に計算されているところで、それはあながち間違ってはいない。インスピレーションとその直感的な動きは、特別な形やフォームとなり、人が自分の人生や自分について考えることへと導く。色のフラッシュを見て、遠くの音を聴いて、内省的な印象、特定の感覚、友人が心を開いてくれたこと…自分の心の中が変化するとき、人生の流れもまた変化する。だからこそ正直なアートは、愛のように、自由に生まれ、伝えられ、1人1人の心臓が違うように振動するんだ。それは良いものか?それは悪いものか?意味深いものか?ソウルフルなものか?それを決めるのは僕ではない。僕の制限的な不安から自由になった楽曲が表すもののようにね。唯一の願いは、いつだって、見たり聞いたりしたものが、人生で明らかにする必要があると心から信じているものを、できるだけ深く発見できていると知ること。それはみんなと交わるべきものであると強く確信しているんだ、親愛なる兄弟、姉妹、友人、愛すべき人たちのみんな。だから、僕が長々と書いたこの説明(とナンセンス)を君自身の心や感情を通して、全く違うものに書き上げるのは君次第だよ。何か感じたことがあれば遠慮なくシェアしてね。君の発見を通して、成長することはいつだって僕の特権だから…

愛を込めて,
Alex